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【ALWAYS 三丁目の夕日’64】

2011年01月21日
(【ALWAYS 三丁目の夕日’64】)

・何も娯楽が無かった時代、映画こそが夢の空間だった。超満員の映画館は立ち見がアタリマエダ。坐っていた人が動くと、座席を求めて人が殺到した。ポッカリ空いている席に行ってみたら、壊れた椅子だった!なんてことはザラの時代だった。

・その映画館が斜陽となって久しい。たまに映画など観に行ったら、このクソ寒いのに暖房もケチられていて風邪をひく。拙著:【生還へのフォアボール】の133~135ページに、高校剣友を亡くした寒い映画館絡みの痛恨のくだりが有る。少しだけ抜粋させて戴きたい。

・(始)不思議なことだが、まもなく召されて行く人は、声は聞こえても姿は見えないようなのである。高校剣友・南野の勇姿を見たのは(2008年)11月10日、私の会社、私の部屋であった。南野は、その後も私の入院病室まで2度ほど見舞いに来てくれているのに、会えてない。電話では12月20日の退院の日にも、私を励ましてくれる声を聞いているのに・・・

・その電話が私の携帯に架かって来たのは、暮も押し迫った12月28日、シッカリ者ながらまだ高校生の南野の末娘からだった。「父が、南野が亡くなりました」・・・私はやはり南野の親友である『木之本』にも急を知らせ、外出中だったがすぐ会社に駆け戻って、南野の枕辺に飾るパネルの製作に没頭した。南野を青春の元気で送り、京大生になって父と同じ剣道部で苦しい修行に耐える南野の一人息子にも見せてやるためだった。

・我が母校は県下有数の進学校ではあったが、南野も私も勉学に剣道に幼い恋に、まるで話に聞いた旧制中学時代もどきのバンカラな青春時代を送ることができた。南野の友人だった卓球部の木之本も加わり、3人は稀有な感性を共有した青春のトモダチであった。男気の強い南野は、主将の私を助けて3年生の夏まで剣道部レギュラーの先鋒(せんぽう=一番手)を務め上げてくれたのだ。

・パネルの写真は、私の家の縁先で陽の光を一杯にあびてニッコリとくつろぐ、スポーツ刈りで学ラン姿の17歳の南野。贈る言葉は写真の下に私が毛筆で力強く「先鋒らしく颯! と逝ってしまったな南野よ 夢多く 男らしく生きた君を忘れない」・・・と書いた。

・13年前、私が木之本の気配りで南野の母上の通夜参りに行き、45歳で再会した南野は、何も語らなかったし訊きもしなかったが、もう隆盛に切り盛りしていたらしい会社の終息時期に在ったのか、肝硬変を患っていた。

・南野は、青春時代からかなり精神的なタイプではあったが、その頃は断食道場にのめり込んでいた。肝硬変には、高タンパク高エネルギー食が一般の常識だが、南野は「気合で治す」と逆行していたものだ。衰弱が進行して行くのを見かねた奥さんの説得で、南野が芹川ドクター・【Sクリニック】の玄関に立った時には、もうその肝硬変は重篤だったと聞いている。

・南野は27日の夜、高校時代から好きだった映画を観に行って、斜陽で暖房も充分でない映画館で体を冷やしてしまったらしい。それが、どの医院からも見放されて、芹川ドクターだけが面倒をみてくれていた重篤な肝硬変には致命的だったのだろう。朝トイレに起きて来たが、昼飯に起きて来ないので奥さんが見に行ったら、眠るように亡くなっていたという・・・(終)

・その南野が生きていたら、私を跳ね飛ばしてでも狂喜乱舞していただろう?!1作目が35億円、2作目が45.6億円の興行収入を記録した大ヒット映画:【ALWAYS 三丁目の夕日】シリーズの第3弾が製作されることが19日、わかった。第3作は【ALWAYS 三丁目の夕日’64】で、来年公開。手間を掛けるのは、『3D作品』として作られるのだという。

・そりゃ、【′64】とする以上、①東京オリンピック、②東海道新幹線の開通、が中心となろう。この私が22歳の、正に大学生活真っ盛りってか、「東の空から太陽は、無限回昇る!」と信じていた青春時代である。

・いやぁ楽しみだなぁ!主演の堤真一・薬師丸ひろ子・吉岡秀隆・小雪などはそのまま使えるだろうが、あの達者な子役2人(劇中堤の子、吉岡の居候)は、長じてしまってもう使えないだろう?・・・淋しいが・・・

・元々日本でのCG映画の第一人者である山崎貴監督である。今度は3D映像も【アバター】を凌ぐものを作ってくれるだろう。1964年、日本人は未だ貧しかったが、みんな前を向いていた。丁度【坂の上の雲】の明治の国民のように。

・この3作目のロードショーには、映画狂らしく、斜陽の映画館で命を喪ったに等しい南野の、青春時代の写真を持って観に行ってやろう。あぁ、今からワクワクさせてくれる!山崎貴監督、頑張ってや!

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コメント

三丁目の夕陽、一作目しか見ていません、二作目放映があったら見ます。昭和39年オリンピックの年、新幹線がとうり、王選手がホームランを量産し、末っ子が6歳一年生、私は主人が、羽仁さん、渥美さんたちと、アフリカに映画を作りに行ってしまい、孤軍奮闘は大げさですが、一人で診療していた時期で思い出深いです、故人になられた方が多い、生きているのが無駄とは思いたくないので、パソコンいじったりしているのかな。

寅どしより様、

コメント有難うございました。そうでしたか、お医者様でしたか?
人助けのご一生を送られましたね、ご苦労様でございました。

私の友人のモトオさんの父上は、100歳まで町医をされ103歳で
大往生されました。94と97だったかの近所から通ってくる老爺
お2人が気懸かりで、彼らを無事送ってからの大往生と聞きました。

生きてお見えだけで素晴らしいことです。パソコンも支えとなれるなら
喜んでいるでしょう。お元気に、またコメントをお待ちしております。

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